「2015神戸ビエンナーレ」からの考察

 島田誠

この「考察」は「神戸ビエンナーレ」を観察してきた私の、よりよき神戸文化であるための問題提起としてお読み下さい。神戸は自由で先端的で創造的な街であるというイメージの一方、文化団体、地域自治、商業者にいたるまで組織化され柔軟性を失っているように感じます。そのことをこの「観察」を通じ、明らかにしながら、闊達に議論が生まれ今後に生かされることを願います。
「世界に類例のない国際芸術祭」か?

10月4日、神戸新聞朝刊7面の「オピニオン」に大きな見出しで「世界に類例のない国際芸術祭」と神戸ビエンナーレ・アーティスティックディレクターの文が紹介されていました。「世界に類例のない」は、この場では最大級の誉め言葉でしょう。

その根拠として
「世界ビエンナーレ協会」(IBA) に加盟する日本で唯一の加盟団体とあります。
「世界ビエンナーレ協会」(IBA)とはHPによると

http://www.biennialassociation.org/newsletter/
2012年11月に設立されたばかりで歴史も権威も認められません。

前回のビエンナーレ(2013)では今回と同じように、美術出版社の「公式ガイドブック」に関することで「正しくないことをあたかも事実であるかのように」ディレクターの発言がそのまま掲載されました。

「公式ガイドブック」について

「公式ガイドブック」はほとんどが主催団体で買い上げられることを前提に出版されていますが、その逆の説明を紙上でおこない、2009年、2013年と恣意的な排除(後述)が行なわれたので事前に通告した上で2013年10月10日に神戸ビエンナーレ実行委員会と美術出版社あてに公開質問状(配達証明)を送りました。

実行委員会は「記事についてはすべて美術出版社にまかせていて関知しない」と回答。

(しかも 事務局 のみで名前も押印もなし)

美術出版社は再三の督促、電話での取り次ぎにも応じず、すべて無回答でした。

 

このことだけでなく集客数などでも何の検証もなく主催者発表をそのままメディアが書くことで既成事実化され「成功」の証しとされていくのです。

 

 

情報公開について

私が厳しいことを指摘しているのは事業予算が約3億でその大部分が税金であることから来ています。にも拘わらず、神戸ビエンナーレの情報公開は極めて不十分です。
過去の4回の報告書も極めて大雑把な自賛的な報告になっています。
事業規模が違うので比較するのも酷ですが取上げた他都市との情報公開のあり方の余の違いに驚きます。
横浜トリエンナーレの徹底した情報公開 詳細 英文も
http://www.yokohamatriennale.jp/archive/pdf/yt2014report.pdf

愛知トリエンナーレ 2013年 情報公開詳細  英文も
https://aichitriennale.jp/2013/item/triennale2013_houkokusho.pdf

parasophia(京都) 情報公開詳細
http://www.parasophia.jp/wp-content/uploads/sites/5/2015/08/parasophia2015administrative_report.pdf

それに比しての神戸ビエンナーレは下記です。
http://www.kobe-biennale.jp/

 

神戸以外は探していただければどこも「記録報告書」が掲載されています。入場人員がどのようにカウントされているかなど、入場収入や使途なども含めて公開されています。神戸の「検証報告書」は神戸ビエンナーレのHPからでは読めず、神戸市のHPで見ることになります。
しかもその「検証報告書」は外部の評価委員を招いた「検証・評価」の厳しい議論を希釈(薄める)したもので、財政や入場者などの事業内容は開示されていません。ビエンナーレのHP内で、過去の記録と結果報告が連続のものとして公開されることが必要だと思います。

実行委員会による検証(2013)

・理念、目的の明確化  新たに見直す
・組織の見直し
・コンペティション、企画展示の見直し
・収支の改善
・芸術祭としての質を高めていく
・震災文化の発信
これらを受けての開催ですから、相当な覚悟で臨まれたと期待して行きました。
事実、東遊園地での開催、しかも夜間。コンテナでの展示は劇的に減らす。
「ビエンナーレ学校」を重ね、市民参画を促すなど努力もされてきました。
▲▲コンペティションについて
「神戸ビエンナーレ」の特徴はコンペティションが中心であるということです。
アート イン コンテナ国際展:しつらいアート国際展:創作玩具国際展:コミックイラスト国際展:ペインティングアート展:グリーンアート展:現代陶芸展の7コンペでしょうか。検証にもありましたがコンペであることにより当然、水準にばらつきがどの展示でもあり全体として雑多な印象にならざるを得ません。

HPで読み取れる賞金は7部門で総額2500万円強のようです。
ビエンナーレのHPにコンペ毎に大賞・受賞作品が掲載されています。多部門でこの規模では、昨今、至る所で開催されているコンペと比較して、図抜けた作品を期待するのが無理かもしれません。
具体的な例を一つ「しつらいアート国際展」の大賞作品「Hai chiizu Kobe」(ハイ・チーズ・こうべ)はタイトルとおりですが、みなさんはどう感じられますか。
中突堤中央ターミナル前の船着場との間にありますが、この窓に顔出しても全く美しい神戸の記念撮影にはならないですね?
http://www.kobe-biennale.jp/compe/shitsu/list.html
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神戸ビエンナーレの理念を現すテーマ
「出合い(2007)」、「わ(2009)」となり、「きら(2011)」めき始めた神戸がこれまでの枠組みや価値観を切り「さく“saku” (2013)」そして今年は「スキ。[su:ki]」です。
伝統芸術から現代アートまで。それが特徴でもあり、なにをやりたいのかわからないということに繋がっているのです。

第1回で高らかに「1950年代 欧米で認知された前衛いけばなと具体美術の原点に立ち帰る」「芸術文化の垣根を壊す働きをし、新しい芸術文化を創り出した」と謳った姿は見ることが出来ません。当時の「具体」と「前衛いけばな」の原点を言うのであれば、2015年現在、対峙すべき時代精神を置き、それへの「前衛」とは何かを問わない限り「原点」も何もないと思います。

「神戸ビエンナーレ」と対極にあるのが「市民への還元が足りない」と存続の危機にある「神戸国際フルートコンクール」です。こちらは4年に一度で事業費は5千万円ですが、世界中のフルーティストの登竜門として、ここでの優勝・入賞はトップ奏者としてのお墨付きとして定評が確立しています。
総花的な裾野しかない神戸ビエンナーレと、一点、屹立して耀いているけど裾野が広がっていない「神戸国際フルートコンクール」。「フルコン」は4年に一度、時間をかけて裾野を広げて「フルートの街・神戸」へ向かおうとしています。
「ビエンナーレ」は2年に一度で3億。「具体」のスピリットとは無縁です。
理念の例示

2015年は、ヴェネチア・ビエンナー120周年、展覧会テーマ「ALL THE WORLD’S FUTURES」

2013年あいちトリエンナーレは、「揺れる大地―われわれはどこに立っているのか:場所、記憶、そして復活」

次回2016年は「虹のキャラヴァンサライ 創造する人間の旅Homo Faber: A Rainbow Caravan

2014年ヨコハマトリエンナーレは   華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある

2015年京都 parasophia(2015)は「para=対抗的、sophia=叡智の場」といった造語

「理念=テーマ」の持つ意味

参加者は表現者でありビエンナーレもそれらの総体としての作品になります。それらを繋ぐのが理念=テーマであり、それに同意するにしても反撥するにしても「心に火がつく」のです。それは見る人とて同じです。そこで私たちが社会に向かい合って今、存在している意味を問い直すような理念が必要なのです。

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検討課題の収支のこと
ここで神戸ビエンナーレ(2013)と愛知トリエンナーレ(2014)、横浜トリエンナーレ(2014)との有料入場者と入場収入を取り出して比較してみました。左から、有料入場者 、入場収入です。
「神戸」  37,000人   37,660,000円
「愛知」 214,901人  181,511,527円
「横浜」 409,000人  212,000,000円
この比較は事業規模が違うのでフェアーではありませんが桁違いではあります。
神戸ビエンナーレは有料スペースが小さく、無料スペースが圧倒的に広いのです。
従ってどれだけの人を「神戸ビエンナーレ」は集めたのかが問われるようになり、実行委員会はそのカウントに腐心されてきました。
2013年は37万人来場。うち有料入場者は37千人(10%)と、発表されたようです。しかし無料ゾーンはどの様にカウントされているのでしょうか。
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下記の数字は市のHPでみた公式記録集(2013年)からのものです。
メリケンパーク会場(無料エリア) 74,289人
かもめりあ(グリーンアート展) 90,268 人(中突堤中央ターミナルです)
元町高架下 50,741人
元町高架下では8箇所が会場となりました。勿論、私は全部を見たのですが、それぞれがカウントされたように思います。すなわち私は8人とカウントされそれが積み重なっての5万人とカウントされているのではないでしょうか。

まちなかアートギャラリー、まちなかコンサート、アートマルシェ、兵庫県いけばな展、あるいはKIITOでの企画を初めとして「神戸ビエンナーレ」があろうがなかろうが開催されるものも「旗」が上がれば「神戸ビエンナーレ」の来客としてカウントされる。これらが38,000人。 今、上げただけで25万人がそうしたカウントのようです。
こうしたみんなが「?」と思いながら報告書に書かれ、メディアが無自覚に書くことによ
って既成事実化されていき、なにやら根拠の??な集客数が積み上げられているようです。


大きな成功を収めている瀬戸内国際芸術祭ですが100万人といわれる来場者について実行委員会は算出方法を下記のように述べ、重複カウントを考慮すれば30万人と推定しています。
http://setouchi-artfest.jp/images/uploads/misc/20110328.pdf
しかし瀬戸内のように時間も費用もかけて島々を渡る人と、たまたま街に来て、ビエンナーレ会場と定義した無料ゾーンをよぎる人をどう区別しているのか算出方法を述べるべきです。

 

展示内容について

メリケンパーク会場(メイン会場)

いままでのコンテナがずらっと平置きされフェンスで囲まれた会場(有料)と公園内のフリースペースが、今回は白い仮設テント内が主会場です。それによって、展示空間にもゆとりが生まれペインティングアート、国内外の招待作家など見るべきものもありましたが、もともと建物内のホワイト・キューブを出るというコンセプトが単なる仮設テントへ移っただけでは公園の自然空間を妨げることを上回る魅力はありません。

 

[コンペティション]―グリーンアート展(ハーバーランド)
モザイクへと繋がる二つの商業棟を高い天井が覆う巨大空間にコンペで選ばれた6作品が展示されています。東入り口側にはビエンナーレと何の関係もない4mほどの動く玩具(良く出来ています)に人だかり、それに隣接して禿鷹墳上の「春望」の大きな枯れ木に金属製の松葉杖のオブジェ。あとは箱庭的グリーンアートで、この大きな空間と、もともとある植栽に太刀打ちできていません。ここは通路ですからカウントしようもありません。

 

元町高架下
元町高架下はそのレトロな雰囲気と衰退して空き店舗となった場を利用したプランが2011年、2013年といい評価を得てきました。その中心にここを拠点としてきたプラネットEartH(宮崎みよし)が関ってきて2011年には「ここの場が持つ磁力」(サイト・スペシフィック)、別の言葉で言えば「ゲニウス・ロキ(地の霊力)」と現代アートとのコラボレーションが独特の魅力を発していて高い評価を得ていました。
しかし2013年はたんにペインティングアートの展示会場となり、今回は華道流派毎のほぼ週代わり展示と化していて、どんどん魅力を失ってしまっています。モトコーの再生に繋がるためには地域と繋がり丁寧に共に作りあげるプロセスを重視することが欠かせないと思います。
まちなかアートギャラリー
18のギャラリーが取上げられて紹介されています。神戸ビエンナーレに来られた方にお立ち寄りをすすめる内容です。実行委員会事務局が市内のギャラリーに「賛同の呼びかけ」を送り「賛同」したところが紹介されています。ギャラリーの質も内容も問いません。ビエンナーレに向けて企画を考えるわけでもなく、これでいいの?というのも何でもありで問われているのは「賛同するかどうか」だけです。
紹介されていないギャラリーは何故かということになります。程度の差はあれ、自分から手をあげては賛同しない。あるいは積極的に賛同しないという意思表示と読めます。
前回参加していたギャラリーも今回は不参加。神戸のいい仕事をしているギャラリーの多くが参加していません。全てが協力的かどうかで判断するのでは何かが生まれはずがありません。私もある程度まわってみましたが、ほとんどビエンナーレ色はありませんでした。
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兵庫県立美術館
公式ガイドブックでは「企画展」とされていますが、「ニッポンのマンガ*アニメ*ゲーム」展は国立新美術館からの巡回展です。会場に貼り出されているパネルには企画内容は東京で詰められ、その協力企業も東京で埋められていることが明記されています。変えられたとしてもマイナーチェンジでしょう。初回に参加していなかった兵庫県立美術館は第2回から参加。「神戸ビエンナーレ」の質を保証した優れた企画でしたが、しだいに熱度が下がってきたように感じます。
http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/2015manga_anime_game/index.html

 

 横尾忠則現代美術館
「開館3周年記念展 続・Y字路」は8月8日にすでに始まっているもので、そのオープニングにも行きました。「企画展」と銘打っていますが、神戸ビエンナーレという旗を立てた(フラッガー)に過ぎないのではないですか。
「現代陶芸展」(BBプラザ美術館)
コンペ入選作品7点がならんでいます。これだけの作品だけで「<企画展>現代陶芸展」を銘打つのはどうでしょうか?
「兵庫・神戸の仲間たち展」(BBプラザ美術館)
上記と同じ会場です。前期、後期で70点の展示です。参加作家のみなさんは新作も含めて力作で挑んでおられます。でも遠くから来られた美術ファンには何を紹介したいのか理解できるでしょうか。私たちはこうした作家たちの個展を日常的に見ることが出来、その作家世界を個展を通じて深く感じる機会を持てます。この展覧会はいわば「作家カタログ」の役割のように感じます。

 

東遊園地・フラワーロードエリア

今回、はじめて東遊園地に[コンペティション]アート イン コンテナ国際展の会場が移ってきました。44日間で日没から21:00までという限定公開でしたが良かったです。夜間と映像の組み合わせ、コンテナ側面4か所を使った招待作家土佐尚子の「土佐琳派:音で作られたいけばな」は、過剰な「いけばな」の氾濫のなかで白眉のものでした。

(ギャラリー島田のサロン「古典サロン2015 菓子」でも流れました)

伊藤嘉英(特別出品)の「耀く人」など、東遊園地はルミナリエでの夜の祝祭との連想もあって、成功していました。

 

その他の展示
・<企画展>ふれあいの祭典「兵庫県いけばな展」(大丸ミュージアム)兵庫県いけばな協会の恒例行事のようです。
・<企画展>大学作品展 15もの大学のゼミや研究室が3回にわけて5大学づつ展示するのですから紹介ブースにすぎません。
・市役所市民ギャラリーでの4つの企画展   新規性はありません。
関連事業
美術事業(44)音楽事業(44)舞台事業(5)その他事業(25)
ビエンナーレ開催期間中に開催される様々な事業を網羅的に紹介されているだけで、そのためにわざわざ意欲的に企画されたものは、ほとんど見当たりません。
社会に強いメッセージを伝えたり、境界を越え、限界へと挑むものがありません。
一生懸命、誠実にというのはどんな時でも当たり前にすぎません。

第1回の神戸ビエンナーレ(2007年)への批判

 

私は「神戸ビエンナーレ」の立ち上がりを『国際』と味付けした街の賑わいつくり観光イベントで内容は「神戸芸文祭り」で, 神戸はグルメの街ですから料理にたとえてメニューをみれば豪華食材(輸入食材を含む)を持ち寄って一つの鍋に放りこんで、暗闇で食する「神戸文化闇鍋」と強く批判しました。失礼なもの言いでした。

しかし、2013年に公表されている検討委員会でも「神戸文化祭」という言葉が出てきます。

神戸芸術文化会議をはじめ、あらゆる芸術団体が協力体制を敷いての開催です。そうした発想の限界が事業規模の大きさに比して、各所で盛んになった類似の個性的なアートイベントの先駆性、挑戦性といった魅力を持ちえないことにつながっています。

■■
それが、公式ガイドブック(2009)へのギャラリー島田の掲載拒否(編集権の侵害)となり、第1回(2007)の50日前のシンポジウムで率直にビエンナーレへの疑問を発言した杉山知子さんのC.A.P(芸術と計画か会議)も2013年には北野地域全体が掲載されないということへと続きました。
このことについては神戸ビエンナーレ実行委員会と美術出版社に事前に通知した上で公開質問を出しました。
経緯については下記をご覧下さい。
その経過と結果については下記でお読みいただけます。
http://gallery-shimada.com/cgi-bin/magazine/magazine.cgi?mode=bkview&bk=892

http://gallery-shimada.com/cgi-bin/magazine/magazine.cgi?mode=bkview&bk=894

http://gallery-shimada.com/cgi-bin/magazine/magazine.cgi?mode=bkview&bk=902 結果は実行委員会は我関せず。美術出版社は完全無回答であったことはすでに述べました。
会場としてのコンテナ

第1回ではメリケンパークに102台の輸送用コンテナが配置されて会場となりました。

神戸=港=コンテナと繋がった発想はユニークともいえるがそれそのものが限界をも露呈し、様々に変遷しながら今回の東遊園地夜間へと収斂してきました。
港やコンテナ、美術展示を連想すれば2007年に、お台場に突如出現した「ノマディック美術館」を思い出します。「グレゴリー・コルベール 『animal totems: a prelude to ashes
and snow』展」のために坂茂さんが設計施工を行なったもので、親交のあった坂さんの仕事を見に行き衝撃を受けました。
下記をご覧下さい。
http://bluediary2.jugem.jp/?eid=951

平置きし、フェンスで囲むというのはUncreativeで開放的な美しいメリケンパークに突如出現した強制収容所を連想された方もおられて当然です。

 

 

 

 

最後に

 

2006年10月19日 湊川神社 神能殿での1年前キックオフシンポジウムを聞きました。

そこには新しい祝祭が始まるという熱気もなく、アーティストの姿もまばらで、シンポジストもなべて高齢でどんよりとした気配にがっかりしました。

それが神戸文化の現状を表しているように感じて、ずっと見てきました。

阪神大震災以後、さまざまな分野で台頭してきた人材や装置が時代を変え、新しい時代を自らが拓いていく時が来ています。

 

・これまで観察してきたように「神戸ビエンナーレ」はほとんどが私たちの文化的日常をなぞっています。神戸にはビエンナーレが提示したよりも、もっと豊かな日常があるとも言えます。

・これはカタログ情報であるとも言いましたが、こうした情報は溢れかえっていて、自らが編集者として自分自身のカタログを編集して楽しむことが出来ます。

・神戸は「互助会的」な組織が張り巡らされていて村社会の空気が濃厚です。

そうでない自立独立の誇るべきアーティストたちは異分子として排除される傾向はこの「観察」で見て来たとおりです。当然のことですが自立独立で県外、海外へと羽ばたいているアーティストたちは組織に属していません。

  • 「神戸ビエンナーレ」が本当に必要なのか、それは何のためなのか、立ち止まって考え直す時にきています。1年2年飛ばしても観光客の入れ込みや経済効果に影響はないと感じます。
  • 空想を交えて言えば、「下町芸術祭」や[北野文化祭(A.Pやアートスペースかおる、ギャラリー島田など)]「港の芸術祭(TENTEN)」「乙仲アートループ(ギャラリー301など)「歌舞くフェスタ(新開地KAVCなど)」「塩屋文化祭(旧グッゲンハイム邸など)」「モトコーサイコー(リ・フォープほか元町高架下)」、「祇園縁日」「水道筋毎日がハロイン」六甲アイランド、ポーアイなどなどがスケールアップして同時多発でも年中分散でも、地域に根を持ち、数年かけて人も街も店も育っていく、そのイベントや祭に「コモンズ」(公共圏)としてのコミュニティを再生する力を内蔵させたものを地域が創造し行政も企業も市民もそこを強く支援する。こうした仕掛けこそが震災を体験し、市民社会を拓く契機をリードしてきた神戸が取り組むことの第1とし、さもなくば壮大なテーマのもとに非日常を現出せしめる一級のアートで世界を驚かせるか、どちらかしか神戸の誇りを取り戻すことは出来ません。

2015年12月1日

ギャラリー島田 島田 誠

About the Outline of “Considerations from 2015 Kobe Biennale” and STOP & CHANGE Campaign  <ENGLISH> (pdf file)